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第62回:若さ故の悩み

 先日、元博報堂でKITIKATの受験キャンペーンをやった、宇佐見清さんがゼミに講義をしに来てくれた。お話してくれた内容は主に、ブランディングとマーケティングの話。とてもダンディーで素敵な方だった。(宇佐見清氏 http://www.usami-branding.com/profile.html" target="_blank">http://www.usami-branding.com/profile.html)

 ここからの話は、別にこの方のお話を聞いて思ったことではなく、ここ最近3ヶ月位の間感じていること。最近何となく、このブランディングとマーケティングって言葉があまり好きではない。なんか胡散臭く感じてしまう。多分響きがかっこ良過ぎるんだと思う。

 ちょっと最近思っていることとは、「広告ってもしかしてプロダクトデザインには勝てないんじゃないか?」ってこと。言い方を変えると「プロダクトデザインは広告を内包している」ってことなんだけど。

 元々物欲が強いせいか、モノとしてそこに存在することに惹かれる。つまり、「モノとしてそこに存在していてもらわないと、実感が湧かん」と言うのが正直な感覚。そしていわゆるマーケティングの4PにおけるProductにあたる製品の質が(あらゆる意味で)高ければ、極論広告なんて要らないのではないか?と。

 もちろん広告とプロダクトは勝つ勝たないの関係でないのは分かってるし、相互に補完し合うことで初めて市場に出るってことも、容易に想像出来るんだけども、自分の中から湧き出る欲望として、実際どっちの方が自分は欲しているのか。という話。

 あと個人的には、「体験」に勝るものってこの世には無いと思っていて、その「体験」という意味では、自分はモノから受けた体験の記憶の方が強く残っていたり、やっぱり愛着が湧いたり。人工心臓をデザインした川崎和男さんがこないだ言っていた、「コンテンツなんて作ってる場合じゃない!コンテクストをつくれ!!」という言葉が頭をよぎる。

 まあこんなこと、まだコウコクの「コ」の字もも知らない若造が、まだデザインの「デ」の字の「テ」ですら分からん若造が、思いあぐねたってしょうがないっていうか、そんなこと悩んでる暇あったら手を動かせと怒られそうですが。

 でもいわゆる「スタイリング的」な工業デザインの手法ではなく、広告的な考え方をもっと製品デザインに持ち込むことはもっと出来るんじゃないかと考えもしたり。D-Brosとかのやってることはそれに近いのかな?(http://www.d-bros.jp/" target="_blank">http://www.d-bros.jp/)

 ただデザインは結局思想だから、その領域はこれからどんどんボーダレス化していくし、色々挑戦してみたいと言うのが今日の結論です。

慶應義塾大学 環境情報学部 中川 諒

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