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第4回:マラウィのあっち側とこっち側
またNews Cafeに戻ってきた。あっと言う間の18日間だった。
滞在の後半は、2年以上前に半年間住んでいたブランタイアという都市で、元同僚で友人のスーザンの家にお世話になった。これまでに、大きく言ってしまえば「アフリカ人」の家にホームステイをした経験のない私にとっては、これはまさに貴重な体験だった。
スーザンの旦那さん、サムはブランタイアで一番の施設と技術(と診療代)を誇る私立病院で内科医として働いている。スーザン自身も、良家のお譲さんといった感じで、1日1ドル以下で暮らす人が多数を占めるマラウイにおいては、スーザンとサムの暮らしぶりは随分裕福である。
彼らの家には、親戚のマーサと、ハウスボーイ(お手伝いさん)のフランクが同居している。マーサはマラウイ北部のカタベイという町から、ビジネススクールに通うために、ブランタイアに来ている。とはいえ、マーサのクラスは週末のみ開校とのことで、平日はフランクと共に、家の手伝いをしている様子だった。
20代と30代のカップルが、家にハウスキーパーを雇って住まわせている、などと言えば、日本の感覚では相当異質であるが、ここではそれほど奇異なことではない。フランクは笑顔はまだ幼いが、今年21歳になるという。両親はすでに他界しており、姉はすでに嫁いで家を出ており、学校に通う費用が賄えず、現在の職を得たとのことだった。フランクの仕事は、料理、掃除、洗濯、庭の手入れなどである。朝は6時くらいから、そして帰りの遅いサムを待っての夕飯となるために、22時くらいまでは拘束される。彼の給料は日本円で月3000円。これはマラウイのハウスキーパーの平均的なお給料だという。フランクは片言の英語で、学校にもう一度通いたいから、お金を工面してほしいと私に何度か言ってきた。私はただ黙っていた。私がブランタイアのホテルで飲めるフレンチプレスのコーヒーを3日間我慢して、5時間分の無線インターネットを控えれば、彼の1学期分の授業料は賄えるのだな、と思いつつ。
ブランタイアでの週末、私は、以前に住んでいたフラットを訪ねることにした。メゾネットタイプのそのフラットには、当たり前だけど、すでに新しい住人が住んでいるようだった。それなのに、実はまだそこで生活している「私」がいて、それを未来の「私」がのぞきに来ているような、そんな不思議な錯覚に陥っていた。
フラットの裏に、小さな長屋があり、そこに友人のキャサリンとその一家を訪ねた。キャサリンは30歳を過ぎてから、マラウイの中学卒業資格にあたる共通試験に合格した。3人の女の子の母親である。なんとか学費を工面してその中学卒業資格を得たところだったが、キャサリンも近隣でハウスキーパーとして働いているとのことだった。次は、コンピューターの学校に通って、そうすれば職が得られるに違いないと話していた。やはりその費用を何とかしてほしいと、遠慮がちに頼んできたが、私はここでも、ただ黙っているしかなかった。日本ではただの大学生である私が、誰かの夢を、叶えることなんてできるのだろうか。
その帰り道、私はやや暗い気持ちだった。結局、友人に何一つしてあげることができなかったのだ。彼女は私に、おいしいごはんをふるまってくれて、私の日本にいる家族を気にかけてくれて、私の大学生活がうまくいくように願ってくれているというのに。
スーザンの家に着くと、ダイニングテーブルいっぱいに、チキンや豆の煮込み、緑の野菜炒め、主食のシマにライス、そして肉厚なソーセージが並べてある。その肉厚なソーセージは、実は大豆からできたベジタリアン用の冷凍食品で、一箱800円もする品だ。そう、スーザンとサムは宗教上の理由で肉類は一切口にしないが、客人である私のために、毎晩ビーフとチキンなど肉類を用意してくれたのだった。
マラウイのあっち側とこっち側。友人たちの暮らしぶりはまるで違う。ただ、どちらも友達思いで、とても優しい。
ブランタイアでの最後の夜、私はスーザンの仕事に対する思いや悩みを3時間以上にわたって聞いた。スーザンの今の仕事場での待遇に以前から不満をもらしていたのだ。そしてスーザンは度々、私に意見を求めた。「努力は必ず報われる」「無駄なことなど何ひとつない」それらのメッセージが脳裏をかすめたが、いざ言葉にしようとすると、それらは重過ぎて、発することができなかった。学歴偏重は日本以上で、さらに有力者の、私欲を肥やすための汚職が日常茶飯事となっているこの国で、これらのメッセージが果たして真理と言えるだろうか。スーザンの努力は、本当に報われるのだろうか。では、私はこのマラウイの友人に、なんと声を掛けてあげるべきだったのだろうか。
これからも何度もアフリカへ行くだろう。そのたびに、変わらぬ笑顔で、友人たちは私を受け入れてくれるだろう。誰もが希望を持って生きることができる世界の実現のために、私はこれからもアフリカの開発援助に関わっていきたい。その思いがますます募った旅であった。
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