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第1回:入国前夜

 2009年2月10日

 成田を出て、香港を経由してから約20時間が経とうとしている。私は今、ヨハネスブルグの空港でマラウイの首都であるリロングウェ行きの飛行機を待っている。ヨハネスブルグではおよそ4時間の待ち時間。私がなんとなくパソコンを開けたのは、ただ単に退屈だったからではなく、もうすでに何度も立ち寄ったことのある空港内のNEWS CAFEで、すっかり寛いでいたからである。

 黒い顔をしたウエイターとのやりとりでは、2年ぶりに扱う英語も、自然と口から出てくる。おそらくこれがロスやロンドンとかのカフェだったとしたら、私は恐ろしくどもって、コーヒーをひとつ頼むだけで、ひどく臆病になっていたかもしれない。ああ、またアフリカにやってきた。私は安堵の気持ちでいっぱいだった。

 一番はじめにアフリカを訪れたのは2000年7月。青年海外協力隊のソフトボールコーチとしてジンバブエに赴任するためだった。当時21歳。多くの青年海外協力隊員が、大学を卒業し、いくらかの社会人経験を積んだ上で、途上国で自分の技術をもって国際貢献しようとするところを、高卒で、社会人経験もままならないが、少し人よりソフトボールが得意だったという理由だけで海外に赴任できたのは、まさにラッキーだったとしか言いようがない。その後、ケニア、マラウイ、ブルキナファソとアフリカ4カ国での活動経験を積み、その間に私は、大学生となった。

 私は3度目の協力隊での活動地マラウイから帰国した年に、AO入試による大学受験を試みた。出願先は慶應義塾大学総合政策学部。通称SFC。なぜ28歳にもなって、大学進学を選んだのか。多くの人は私の挑戦に、そう疑問を投げかけた。しかし、私にとって大学進学は必要であり、必然だった。「体系づけられた知の習得」が私の大学進学の目的であった。赴任したマラウイで、私は、日本の地域振興政策である一村一品運動を実践するためのプロジェクトに関わった。たくさんの村人との会話に基づく調査から、自分なりに問題発見をし、問題解決のための手段をいくつか提示した。すると、「それが問題なのはよくわかった。しかし、なぜその解決のためにその手段が最適だと言えるか」の問いかけに、いつも答えられなかった。半ばやけになって「いいからやってみてください。絶対効果は出ます。」と押し切ったが、皆の納得は得られない。今のままでは通用しない。そう感じた私は、体系的に学問を学んだことがないことを悔やんだ。そしてただ悔やむだけでなく、「それならば」と、大学進学を選んだ。

 今年の春に大学3年生になる。今回のアフリカ赴任には、いつもと違うことがある。これまで青年海外協力隊の事業でアフリカを訪れる際は、通常のパスポートと違い、緑の公用パスポートを持つことになる。そして旅の目的は?と聞かれれば、ボランティア活動だと答えていた。今回は、10年前に作った個人の赤いパスポートを持って来ている。旅の目的は何か、と尋ねられたら、研究目的だと答えるだろう。先月、私は慶応義塾の未来先導基金という助成金を得ることができた。AO入試の受験時から、一貫して「アフリカへの貢献」を掲げ、その探究のために、2008年秋学期から、途上国の貧困問題を扱うゼミで、マラウイの一村一品運動の研究にあたっている。今回はそのフィールド調査を兼ねて、2年ぶりに、マラウイを訪れることとなったのだ。

 あと数時間で、私を大学進学に導いたマラウイに到着する。今回は、かつての配属先である一村一品事務局を拠点として、研究活動をするつもりだ。顔なじみの仲間たちに、2年間の大学での勉強の成果を認めてもらえるだろうか。私は、待ち時間にコーヒーを飲みながら、つい先日書き上げたばかりの学期末論文「マラウイ共和国における一村一品運動の実践-農村開発政策としての有用性と課題-」を何度も読み返している。離陸まであと1時間弱。

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